金山文化について

木浦鉱山の歴史

太古のロマン。鉱山の歴史が育んだ金山文化。
木浦鉱山の創業期は500年代の半ば、欽明天皇の頃、遠江から来た佐藤大膳の始祖が、神事(じんじ)で錫と水晶を産出したという。 2003年8月1日。理学博士の野田雅之先生が、錫鉱石と水晶の鉱石及び鉱脈を神事とセリバ谷で確認された。セリバ谷では錫・鉛・水晶を産出。梅路苑の周辺には夥しい鉱物の破片と焼き滓、木炭片が累積している。700年代半ば、奈良の大仏建立の時、ここから錫を送った可能性が非常に強く、裏の畑で発掘調査を実施。製錬所遺跡の証拠品が続々と発見された。
【発掘以外の証拠品の一部】
米田家に代々受け継がれた恵比寿様と大黒様3体
鍛冶屋場でお祀りされていたというもので、深い溝になった部分に金箔が残っています。鍛冶屋場では農機具や秘密に作らされた武器のほかに、贈答品も製造したと言われています。 屋外の施設『仙祥郷』に置けない像や写真は『旭峰』で展示しています。 ゆかりの地『神事』で採取した小粒の塊で透明でもないので商品にはなりませんが、水晶の原石も展示しています。
【人物のご紹介】

愛宕様に宿る『佐藤大膳』。
大和時代に鉱山を創業した探鉱師。代々襲名で1800年代まで名前が歴史に出てきます。
700年代半ば、奈良の大仏建立に武平治、金梅仙とともにセリバ谷で錫を採掘。望月龍之介が長門町で製錬して奈良に送っていたようです。
当時鉱石を溶かす木炭の製造は一大産業であり、30〜50年生原木の伐採は高度の技術と知識が要求されたそうです。

お金堀師『植木武平治』。
代々襲名で系列の徳台寺・高僧山岳信仰、佐藤大膳系列と異国の鉱山技術者・家族・霊能者。この3系列の絆は非常に強く、奈良の大仏建立に錫を製錬して送ったようで、夥しい量の鉱滓が残されています。

その他の人物
奈良時代の高僧、奈良時代の錫製錬所の経営者「望月龍之介」、木地師の元祖「惟高親王」、忠臣武将「神保」、馬方で馬子唄の名人「米田源蔵」、などの人物のエピソ−ドもございます。

【梅路苑】
830年代、銀山を開いたという四国 伊予の国から来た河野弾正大輔関連の資料を展示しています。周辺に長門町錫製錬所遺跡のスラグがおびただしい量で堆積しており、手前の駐車場もスラグが堆積しているため見学場所にしようと切り明けをしたら隣地の境からもスラグが大量に発見されました。
【錫製錬ミニ工程場】
坑口から運び出された鉱石を20〜30時間焼き、もろくして唐臼で搗いて砕き、小さくしてひき臼にかけて粉にしたものを水洗で純錫と泥を選別。床屋場で錫を溶かし鋳型に流し込んで製品にする過程を再現しています。

仙祥郷
日本武尊と弟橘媛の御子 初禰姫誕生。武平治と結婚、系列の始祖となられた仙祥郷の物語などを和歌にしてご紹介も行っています。

徳台庵
1700年代の終わり頃、髪の長い琵琶弾きの女性が来て、坑夫や遊女の霊を弔ったのがきっかけで、御金堀師 植木武平治が一門の菩提寺に「徳台寺」をおこしたという。現在徳台墓地と寺屋敷が残っています。

ミャージャカ地蔵
1167年高倉天皇の頃、中国から鉱山技術者の一行が渡って来たとき同行した渡来僧で優れた霊能者。本名は宋泰竜。本来の役目の他、坑内の安全と現状分析、掘り進める方向を占うなど鉱山師の暮らしの中で重要な役割を果たしていました。

金梅仙が宿るムラおこしの岩
600年代の終わり頃、韓国から渡来した中国系の鉱山技術者。秦の武帝を信奉する優れた霊能者で、山岳信仰をしながらムラ興しにも取組んだ。最初 「木浦(もっぽ)山」と呼ばれたが、天平元年、宗教闘争で勢力が逆転、「きうら」と呼ばれるようになったと言われる。佐藤大膳と武平治とは義兄弟のように絆が強かった。

鉱山里展示館『旭峰』

一巡するだけで木浦鉱山の歴史がおよそわかるように、岩や写真・説明文・人形での情景描写を取り入れています。

お問い合わせ
管理棟 梅路 TEL:0972-55-4167

玄関

金梅仙・植木武平治関連。大平山の神、金山開神宮(河野弾正大輔)、古代金山ノ神、道祖神、正連寺関連資料。

長門町錫製錬所遺跡の文献、焼き滓。

桜間府の坑口と山ノ神、すみつけ祭りの荒神舞と椿姫(オリジナルで製作・梅路太夫)

すみつけ祭りの縁起額、観音社。点前席。惟喬親王和歌の額、自費出版の書籍。下天神、上天神、千人間府周辺の焼き滓

尾越錫産業遺跡発掘予備調査の資料。最後の探鉱師 佐々木康晶資料。

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