はじめに

ごあいさつ

暖かい交流の場所を目指してます。
梅路がございます佐伯市宇目の木浦鉱山はその名の通りかつて鉱山があった場所。その鉱山の歴史が育んだ「金山文化」はかすかに息づき、いたるところに歴史の足跡を残しています。
梅路はその文化を伝える「金山文化の里」として宿泊施設を営んでいます。ご希望の方には鉱山の歴史・エピソードや郷土民謡をご紹介したり、またおいらん体験や鉱山里展示館『旭峰』他6箇所の屋外施設もございます。
そして田舎ならではの豊かな自然を活かし登山・釣り・生け花会・短歌会などの場としてもご利用いただいております。また私たちも"ご一緒に楽しませていただく"そういった気持ちで精一杯おもてなしをしております。そんな人と人との繋がりを大切に考え、暖かい交流の場になれたらと思っております。ぜひ一度ご利用ください。
疲れた心を癒す安らぎの場所になれたら。ふるさとの温もりや優しさが伝わりますように・・・。
私たちの想い
「癒しの場」を心がけます。
「喜ばれることに喜びを」の精神を重んじます。
「歴史を伝える」努力をします。

木浦鉱山の歴史を辿る旅

木浦鉱山の錫が奈良の大仏に使用されていたという歴史を辿り旅に出かけてきました。

2006年6月17日。大分県歴史資料館と宇佐神宮に行ってきました。木浦鉱山の錫の記述がある書物はないかと思いましたが見つからず、宮司さんから、「長門町という地名がかかわりの深さを物語っているのでは・・・」とのご指摘をいただきました。
(「長門町」は木浦鉱山の小字の地名で、錫の製錬所遺跡があります。)

19日。東大寺図書館で居合わせた職員3名とお上人様1名が選んでくださった古書の中に銅に関する記述がありました。銅88〜96%に対して、錫は1.5〜2%、多くても4%、鉛は1%の混入だったとのこと。それにより圧倒的に量の多い銅と同時に精製されて送られたため、その陰に隠れてしまって、『木浦鉱山』の名前が表に出なかったということが理解できました。『技術者のみた 奈良と鎌倉の大仏』の中に「銅の大部分は長門の国の大和鉱山から送られた」という記録に触れているので、『大和鉱山』から奈良に大量の銅を送る中で『奈良登り銅山』と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

長登銅山は15年以上の発掘調査で大量の木簡などが出土し、『奈良登り銅山』であったことが実証され、国の制度で大々的な取り組みになっています。東大寺図書館でも共通の判断は「長門町という地名がかかわりの深さを証明しているのでは…。確証を得るためには膨大な木簡の解読が必要でこれ以上は無理ですね」というものでした。

奈良の大仏建立ロマンの中、最大で最後の課題、『錫がどこから来たかという1250有余年の謎解き』が解決しました。わたしは『歴史の掘り起こしと謎解きを卒業できた!』と実感しました。突然の訪問にもかかわらず、快くご協力くださいました皆様に、心から感謝と御礼を申しあげます。ありがとうございました。

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